“父として”のライフデザイン――暮らし方・働き方を変え、より心地良い暮らしへ

自然豊かな長野市の飯綱高原に住み、個人事業で一棟貸しの宿「フォレスト24/7」(に・よん・なな)を運営している仁科賢人さんは、小5の長女、小3の長男、2歳の次女、3人の子育て中のお父さん。もっと伸び伸びした環境で暮らし、働き、子育てをしたい――という思いから、2021年に市街地から移住。2023年12月には会社を退職し、映像制作プロダクションを起業しました。暮らし方、働き方を変えていく中で起きた、自身と家族の変化について話を聞きました。
妻のニーズを把握することで、最適なパートナーシップを追求
「家庭のために割く時間をもっと作りながら、自分のペースで働きたいという思いがありました。2人目が生まれた直後、妻が大変そうな姿を見てきたので、3人目が生まれるタイミングで一度しっかり家に入ろうと思い、会社を退職して独立しました」
仁科さんはテレビ局で勤務し、夜遅くまで帰ってこられないこともたびたびありました。2人目が生まれる時には1カ月の育休を取りましたが、妻との連携が上手くいかなかった反省があったそうです。
「3人目の時は、妻のニーズがどこにあるのかを意識的に聞くようにしました。妻からは、その都度『家事は私のやり方でやりたいから、私が自分のペースで家事ができるように、子どもともっと遊んでほしい』『赤ちゃんの夜のお世話は私がするので、日中は寝かせてほしい』と要望があり、一つ一つ応えていきました」

「フォレスト24/7」のリビング
一方で、子育ての傍らで進めていた宿の準備が整い、2024年にオープンしました。移住した当時は民泊を始めようとは考えていませんでしたが、たまたま隣家が空き家になり「ここを飯綱高原での暮らしの楽しさを味わってもらえる場所にしたい!」と思い、妻を説得して購入。耕作放棄地だった近くの土地を借りて、収穫体験ができる畑にしています。
「今、僕自身だけでなく家族それぞれが、『自分はこう生きたいんだ』という気持ちを大切にして生きられている感じがあります。この飯綱高原で、僕にとって好きなこと、大事にしていることが、そのまま生業になっています」
夫婦だけで頑張らなくていい――子育て経験を重ねて考え方をアップデート
仁科さんがまだ会社勤めをしていた2年ほど前、長男が不登校になりました。当時は戸惑いを感じつつも、「息子を学校に送って早く出社しなければ」という時間的な余裕のなさと「学校には行くものだ」という意識から、「本人がどう感じているか」よりも学校に行かせることを優先していました。
「会社を辞めてからは、『彼は何をしたいのだろう』『何を考えているのだろう』と考えられる、気持ちのゆとりが生まれました。無理に学校に連れていくことはせず、『どうしたいかは自分で決めよう』と話しているうちに、『今日は学校に行く』という日も出てくるようになり、驚きました」

長男と本を読む仁科さん
息子本人への働きかけと同時に、夫婦間でも話し合いを重ねました。いま起きている事態を、家族としてどういう風にしていきたいか、目指す家族のあり方から逆算して考えるように。人に迷惑をかけないように家庭内だけでなんとかしようとするのをやめ、学校に相談したところ、さまざまな対応策を考えてくれて、今年度から再び学校に通うようになりました。
「毎日、いろいろな出来事の連続で、子育てを通じて成長させてもらっています。1人目で夫として親としての自覚を持つようになり、2人目で何とかしようと一人で頑張り、3人目で、大変な時に一人で抱え込むのではなく、『夫婦できちんとパートナーシップを取ってやっていくものなんだな』『夫婦だけで頑張らずに周りに頼っていいんだ』と、経験を重ねるごとに視野が広がっていきました」









